はむすた母娘、空元気も元気!

末っ子女子大生とその母が、2人3脚でブログしてます。

つわりがひどすぎた妊娠・出産、ありがたかったサポート 第3子編

 

はむすた母です。

 


第1子編、第2子編に暖かいお言葉をいただきまして、

ありがとうございました。

 

以前に書いた第3子編が、いろいろあって非公開になってしまったので、

改めて書き直すことにしました。

 

 

 

 

世の中には

元気に出産まで過ごせることが当たり前だと思っている方が

少なからずおられます。

 

 

でも、おなかに命を抱えているというのは

常日頃の状態とは全然違っていて、

本人が頑張ればなんとかなるというものはほとんどありません。

 

日本ではなぜか「妊娠は病気ではない」と考えられていますが

おなかの中に命を預かる以上、

病気よりさらに気を遣う必要があると私は思っています。

 

 


妊娠・出産に、普通のことなんてありません。




いろんな妊娠・出産があることを知っていただきたくて書きました。

 

身近に妊婦さんがいない方も、

もし見かけたら「大事にしてね」と、

暖かく見守ってあげてください。



私は妊娠期間を、ほぼ「寝たきり」で過ごします。

 

私には実子が3人います。

子供たちが生まれてこられたのは、

たくさんの方のご協力あってのことでした。

心から感謝しています。

 

 

 

 

第3子の妊娠・出産は、予期していたものとは全く別のものでした。

 

第1子は、平成4年(1992年)生まれ 男

第2子は、平成7年(1995年)生まれ 男

第3子は、平成11年(1999年)生まれ 女

 

です。

 

 

 

2度目の里親体験

 

第1子・6歳、第2子・3歳の時に、2度目の里親体験をしました。

第2子とほとんど同じ月齢の3歳の男の子を、

1週間預かりました。

 

今回は一人で子育てしながら、親の介護をしつつ

第2子の出産を迎えるお母さんのサポートでした。

介護が必要な親御様は病院に入院をお願いして、

計画出産で、入院前に我が家にお子さんを連れてこられました。

事前に一度だけ、児童相談所の相談員と一緒に訪問されています。

 

 

昼間は、うちの二人の男の子の後ろをついて

元気いっぱい過ごしました。

私の手が空く限りは夕方、お母さんのいる産院へ通いました。

 

毎晩、お母さんを恋しがって

「お母さんのところに行く~」

と泣きました。

 

5日目ぐらいだったかに、

「赤ちゃんのところに行くよ~」

と、泣いた時はあまりにも可愛くて、

家族で顔を見合わせてニコニコしてしまいました。

 

 

まさか、この数か月後に

3番目の妊娠が発覚するとは思ってもいませんでした。

 

 

妊娠発覚

 

兄ちゃんその1が、小学校の入学式を終え

兄ちゃんその2が、幼稚園の入園式を終え

初の保護者会は立候補者がおられたので、私は役員にならず

ちょっとほっとしたころでした。

 

 

幼稚園の保護者の顔合わせ会があった4月半ばのある日、

トークテーマが

ドラえもんの機会を使えるとしたら、何をどう使いたい?」

だったんです。

ちょうど

「今日あたり来るはずの生理が、予兆もないな?」

と思っていたので

「タイムマシンでひと月先へ、妊娠確定かどうか見に行きたい。」

と、答えたことを覚えています。

 

 

 

我が家は、私が妊娠すると、夫の完全ワンオペになります。

しかも今回は、子供二人プラス妊婦です。

 

 

 

第2子の生まれる頃から、遠方に住む親をあてにしてはいけないことを

私達は理解するようになっていました。

私達の祖父母の代の人たちが、

だんだん健康に不安を抱えるようになっていたのです。

夫の仕事は、常にも増して忙しくなってきていました。

 

妊娠出産の件で、私にできるのは「保育器に徹すること」だけです。

夫に判断をゆだねようと、私は思っていました。

 

 

 

その晩、夫に

「妊娠したかもしれないんだけど、どうする?」

と聞きました。

「え?産むでしょ!」

さも当たり前に答えられて、目が覚める思いでした。

選択の余地など、もともとない答えでした。

「では、明日、病院に行ってきます。」

私も覚悟を決めました。

 

 

妊娠4週目

 

 

そのころ私は

喘息と、アトピーを一つの大学病院で診てもらっていました 。

産婦人科、小児科も併設されている新生児医療にも関わる大学病院なので、

そこでお世話になることにしました。

 

問診表の記入事項と、早すぎる検診に来た私を見て

先生方は丁寧な検診をしてくださいました。

妊娠はほぼ確定です。

異常を感じたときには、すぐに来院するように指示が出されました。

 

 

第1子、第2子が生まれた社宅からは、遠く離れたところに引っ越して

前の妊娠の状況を知る人はいません。

でも、ありがたいことに子供が多い県営住宅に住んでいたので

小学校も、幼稚園も同じクラスの方が複数人おられました。

妊娠したことと、今後、状況が悪くなるだろうことをお伝えして

何かあった時にはサポートをお願いしました。

 

 

2回の出産から、切迫早産をおこす可能性が高いので

できる限り体を動かすことを抑えることにしました。

外出は病院への検診時のみとして、

仕事は中断

ピアノの生徒さんたちには

ほかのお教室に移っていただきました。

 

 

夫は職場に申し出て、出張を免除していただくことになりました。

この時の住まいは、職場まで徒歩10分の距離でした。

夫は朝、幼稚園児を通園バスに乗せて見送りとともに出勤、

残業の多い職場だったので、定時(17時30分)に一度帰宅して

子供たちをお風呂に入れつつ、

夕食の準備をして会社に戻り残業するという離れ業を

彼は第三子出産まで続けることになりました。

 

 

4月の半ばに妊娠が発覚して、

ゴールデンウイークは準備に追われることになりました。

出産は1月です。

 

 

夫とまず始めたのは、家の中を子供使用にすることです。

それまでは私が家事をしやすいように整えてあったものを、

子供たちが自分でできるように変更していきました。

子供のものは、彼らの届く位置に、持ち主別に置き換え

シーンごとにセットしていきました。

 

 

 

夏休み、冬休みを想定して

子供たちが簡単な食事の準備もできるように練習を始めました。

 

 

兄ちゃんその1(小学1年生)には

「牛乳を温めて、トーストを焼いて食べられる」ように

電子レンジとオーブントースターを低い位置に変えました。

冷蔵庫にトーストセットを作って、箱を出せば使えるように準備しました。

 

 

兄ちゃんその2(年少)は、

「シリアルをお皿に用意してミルクをかける」ことを

してもらうことにしました。

シリアルを、彼が失敗しずらいタッパーに入れ替えること

手の届くところにお皿とスプーンを用意すること

ミルクが苦手な彼のために、ヨーグルトを一緒に用意することにしました。

 

 

妊娠8週目検診時

 

大事を取っていたためか、

この時点ではまだ特別な不調はありませんでした。

自分で運転して通院もできました。

 

改めて、妊娠確定ということになって

母子手帳を交付されることになりました。

 

少しつわりが始まっていて、食欲が落ちていましたが

前の時にもあったので、そんなもんだろうと思っていました。

 

喘息が少し出ていて、吸入薬が処方されました。

アトピーは比較的軽めで、塗り薬のみの処方で過ごすことになりました。

 

 

私は家の中では、

・洗濯物を少しづつ干すこと、少しづつ取り込んで片付けること

・子供たちの話し相手をすること、宿題をみること

・本を読んであげること

は、できていました。

 

入院せずに、とにかく家にいる期間を長くして

子供たちに声掛けだけでもできれば

何とか家族が回りそうな感じでした。

 

 

 

 

学校や幼稚園の様子は、

同じクラスのお母さんたちがお便りを持ってきて教えてくださいました。

一人目の子供の小学校ということで、

知らないことも多かったので、とても助かりました。

 

 

 

10週目の時点で、食事はほぼ喉を通らなくなりました。

水を飲むのも一口づつになりました。

 

 

妊娠12週目

 

私には運転をするだけの集中力は、もうなくなっていました。

夫が休みを取って病院の送迎をしてくれました。

 

体重が減り始めていました。

 

「何とか水は取ってくださいね」

 

と言われました。

 

 

前の妊娠の時に、

つわりがひどくて入院していた患者さんと同室になったことがあります。

そういう方がおられることを知っていたことは、

私の中で大きな支えになりました。

 

・つわりが、命にかかわることがあること

・つわりで、助けを求めてもいいこと

 

 

 

これを知っていると、知らないとでは

多分雲泥の差だと思います。

 

「何かあったら来てくださいね。」

 

という言葉とともに、検診は終了しました。

 

 

 

何とか水を摂取しようと、

子供たちがいない時間に水を飲んで吐くを繰り返しました。

夏休みごろまでは、

子供にしんどい姿をあまり見せずに過ごそうとしていました。

 

 

食事の準備や、匂いは

ほぼダメになっていました。

何も食べなくても、飲まなくても吐き続けます。

台所や食卓に近づかないように過ごします。

 

 

 

頭の中だけは冴えていて、

 「胃液って、きれいな黄色い色をしているんだな。」

と思いながら、毎日何度も吐いていまいした。

 

 

 

 

夏が来る頃には 

幼稚園バスのお迎えがつらくなってきていることを

周りのお母さんたちが察してくださって、

子供を引き取って交代で部屋まで連れてきてくださることを

申し出てくださいました。

幼稚園の了承を得て、助けていただくことになりました。

すごく助かりました。

 

 

 

 

妊娠16週

 

 

座っているのがしんどくなってきていました。

普段から横になっている時間多くなって、

病院の入り口から、産婦人科までの廊下を歩くだけで

足がつりました。

 

 

「入院しますか?」

と、検診で先生に言われました。

「中の人が大丈夫なら、家にいます。」

と、お答えしました。

 

 

呼吸器の先生が、

「点滴しましょう。」

と、処置してくださいました。

 

「妊娠中って、食べられない状況でも死なないし、

 意外とおなかの子供も育つんです。

 でも、無理はしないでくださいね。」

 

その時はわからなかったのですが、

そう励ましてくださった呼吸器科の先生は

私より2か月後に出産された妊婦さんでした。

 

点滴しながら吐きました。

口から入れなくても吐くんだなぁと、びっくりしました。

 

 

 

 

夏休みが来ていました。

 

兄ちゃんその1が

「ピアノを教えてほしい。」

と、言いました。

以前から、1年生の夏休みになったら教えてあげる約束をしていたのです。

かまってほしかったのも、あったと思います。

彼は小学生になってから、わがままらしいわがままを言いませんでした。

弟のお世話は、お父さんより上手になっています。

 

 

ピアノのそばに、ソファーベットを置いて

横になって教えることにしました。

毎日20分くらいレッスンしました。

一年生も夏くらいになると、男の子でも集中力が違います。

もともと落ち着きというもののない子で、

幼稚園の時にはとてもピアノは無理だと思っていました。

この時期からのスタートで、この子は正解だったと思います。

夏休みだけで「いわゆるバイエルレベル」を終了しました。

 

 

 

妊娠20週目~

 

 

この時点で、私はほぼ10キロ体重が減っていました。

・水は飲めない

・ものは食べられない

・ひたすら胃液を吐き続ける

自分もおなかの中の人も、よく生きているなぁと思います。

 

 

 

私としては、

何とか家で子供たちを見ることだけを考えて

過ごしていました。

すでに家事は、何もできませんでした。

 

 

家のことは、全て、夫が一人でしています。

 当時の日常は、こんな感じです。

 

 

夫は 

朝、洗濯機をまわして子供たちを起こします。

ごはんを食べさせている間に、洗濯物を干します。

週2回の幼稚園のお弁当は、冷凍食品で乗り切りました。

(週2回は給食がある幼稚園でした。

 午前帰りの日は、シリアルでお昼ご飯を済ませます。)

 

7時半に兄ちゃんその1が出かけたら、

兄ちゃんその2の支度をして、8時過ぎに幼稚園バスに乗せて

自分も出勤します。

 

午後、 

幼稚園から帰ると兄ちゃんその2が、私にいろいろお話をしてくれます。

本を持ってきて、読んでくれたりもします。

兄ちゃんその1が学校から帰ってくると、二人で仲良く遊びます。

 

17時半に夫が一度会社から戻って、食事を作り始めると

子供二人はお風呂に入ります。

お風呂のドアは、何かあった時のために

音が聞こえるように開けっ放しです。

その時間は私も、お風呂から聞こえてくる音に気を付けています。

兄ちゃんその1が、弟を洗ってあげながらの入浴です。

 

ご飯が出来上がると、二人をお風呂から出して

いただきますを見届けて、夫は再び出勤します。

 

 

食事がすんだら、子供たちは

私のそばでそれぞれのことを始めます。

兄ちゃんその1は

宿題、音読、明日の学校の準備、

チャレンジ1年生をする時間です。 

兄ちゃんその2も

一緒に子供チャレンジや、迷路のワークブックをします。

 

9時になったら、子供たちは仲良く布団に入ります。

 

夫が職場から戻るのは、たいてい22時半です。

 

 

それでも、通勤時間が10分というのは助かりました。

子供たちの学校や幼稚園にも、20分以内で駆けつけることができます。

実際にはそんな事態はありませんでしたが、

駆けつけることができるという安心感は

ワンオペの時には代えがたいものです。

 

夫の仕事は、一か月に2週間程度の出張をこなしていた時期でした。

完全に出張を免除するのは、職場の方々にとって

たいへんな負担があったと思います。

職場の方々の理解と協力は、本当にありがたかったです。

 

 

私は検診のたびに

「どうしますか?」

と聞かれました。

入院しますか?という意味だと解ります。

実際、一人目の妊娠だったら入院していたと思います。

「中の人が大丈夫なら、頑張ります。」

すでに合言葉のようになっていました。

 

 

 

 

妊娠30週目~

 

 

いきなり時系列がざっくりしてしまうのは、

いろいろなことが思い出せないからです。

とにかく毎日何度も吐いて、うつらうつら眠って過ごしました。

それまでは、ちょっと本を眺めたり、

ラジオを聴いたりできていたのですが、

何かができる状況ではなくなってきていました。

 

 

冬が来る頃には

子供たちも、近寄らなくなっていました。

 

 

子供たちのことで来てくれるご近所のお母さんたちも、

「大丈夫?」

という言葉が出なくなってきていました。

誰が見ても大丈夫ではないことが

ありありだったのだと思います。

 

 

 

何度も点滴してくださる呼吸器の先生が

「有名人になっていますよ。」

と、お話してくださいました。

普通なら、入院している状況なのに

意地を張って変に頑張っている妊婦がいると

先生方の間で話題になっていたようです。

そういう先生ご自身も、

そのころには大きなおなかが目立ってきていました。

大学病院の先生はかなりお忙しいので

「先生もご無理なさらないでくださいね。」

と、言うと、

「はむすたさんほど無理はしないので・・・」

と、笑っておられました。

 

 

学校や幼稚園の行事には、全て夫が出席しました。

有給休暇が足りなくなりそうだったので、

行事がある日に妊婦検診に通いました。

運動会も、お遊戯会も、

いろんな話を聞いたと思うのですが、思い出せません。

私自身は自分のことだけで精いっぱいの時期でした。

 

 

 妊娠38週目~出産

 

お正月休みの最後の日、検診に行きました。

子宮口が数センチ空いているという診断で、

翌日計画分娩することになりました。

 

一度家に帰って、支度をして病院に戻ることになりました。

その日は兄ちゃんその1の誕生日で、

私が病院から戻ったらお誕生会をする予定でした。

「ケーキは夜、お父さんが戻ったら一緒に食べてね。」

と、私は病院に戻りました。

 

雪がちらちら降っていました。

 

 

明日が出産という時になっても、私は吐き続けていました。

体重はマイナス18キロ

妊娠当初、特別太っているというほどでもなかったので、

マイナス18キロは小学生の終わりごろか、中学生はじめごろかという数字です。

 

 

上の二人の時も、寝たきりのために筋肉が落ちて

立ったり、歩いたりがきつかったのですが

今回は寝ているのもしんどい状況で

ほとほとまいりました。 

 

 

 

 

第3子でお世話になった病院は、無痛分娩を推奨している病院でした。

 

経験と言うのは、判断にいろいろ邪魔をします。

2回の出産で何とか頑張れた私は、

つい、無痛分娩の施術代 (当時10数万円)がもったいなく感じて

自然分娩を選んでしまいました。

痛がる妊婦になれていないスタッフの皆さんを慌てさせてしまうことになって、

たいへんなご迷惑をかけてしまったように思います。 

 

 

 

第3子の娘は、2430グラムで生まれました。

 

第1子、第2子と同じ顔で生まれてきて、

「またこの顔が入っていたのか~」

と思いました。

 

 

私のお腹の中で飢餓状態だったのか、

生まれた途端、ごきゅごきゅおっぱいを飲みました。

 

子宮は子育てにむいていないのに、

私のおっぱいは優秀すぎで、今回も余るほどお乳を生産しました。

子供が生まれて、やっと、つわりも終わりました。

食べられるようにはなったものの、全てお乳になってしまうので

自分の体力が回復するには、

授乳期間が過ぎてから、その後数年の時間がかかりました。

 

 

夕方の面会時間に、夫がき来て

「お疲れ様。」

と言いながら、さっさとおむつ替えをしていました。

3番目の夫婦には病院の指導も何もなく、

おむつ替えをしている夫をみた看護師さんは

「大丈夫ですね~」

と、声をかけてさっさと部屋を出ていきました。

 

 

 

兄ちゃんたちが、妹にきちんと会えたのは退院後でした。

 

兄ちゃんその1は、

首の座らない新生児をサクッと抱っこして、

あやして見せました。

3人兄弟の1番上って、尊敬です。

私自身は一人っ子で、赤ちゃんは宇宙人だと思っていたので

自分が7歳の頃には、こわくて近寄れなかったし

もちろん触ることなんてできませんでした。

 

 

兄ちゃんその2は、足を延ばして座っているところに

お父さんの手を添えながら抱っこさせてもらいました。

「ホントは弟がよかったんだけど、

 妹でもいいってわかった。」

と、にんまり満足そうに笑いました。

 

 

 

お世話になったご近所のお母さんたちは

「無事に生まれて、よかったねぇ。」

と、次々、娘を抱っこしてくれました。

「人相変わるほど痩せちゃって、どうなることかと思ったのよ~」

と、かわるがわる言われました。

 

学校や幼稚園にも、ご挨拶に行きました。

先生方もいろいろ聞いていたようで、

「大変だと皆さんからうかがっていたので・・・

 無事に生まれてよかったですね。」

と、言ってくださいました。

 

 

皆さんのあたたかい祝福が、心からありがたかったです。

 

 

 まとめ 

 

 

同じ一人の人間の妊娠・出産でも、

これほどまでに違うかと思うほどの体験でした。

なんというか、命を削った実感がありました。


注意すべきことはある程度心得ていても、

どうにもこうにも頑張ることができません。

「覚悟を決めたんだよね」と言われれば、その通りですが

余りにも想定外すぎて、手も足も出ませんでした。


前の2回の妊娠出産でも、

「助けていただくことが甘えるととは限らない」

と思うようになっていましたが、

本当に自分だけでは何もできないことがあるということを

再確認することになりました。

 

 

体力が底をついた状態から始める子育ては、

毎日がサバイバルでした。

兄ちゃん二人に鍛えられて、娘は元気いっぱい育ちました。

私のような体にしがみついて生まれてくる子は、

生命力があるなと思います。

子供の体力についていけず、体をつかった遊びを助けてもらおうと

早くから週5回も体操教室に娘を通わせました。

3人の子供にいっぱいいっぱいになり、

養育里親の登録は、解消することになりました。

 

 

 

 

ありがたいことに、第3子が今年二十歳を迎えました。

今は私を心配して、このブログの編集長をしてくれています。

 

私の体験が、少しでもどなたかの助けになるといいなぁと思っています。

 

 

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